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英語との出会い
翻訳物が大好き
父と映画
ビートルズとの出会い
ECCからサイマルまで
TOEIC・英検の成績


英語との出会い

英語、日本人ならいつ英語に出会ったと言えるんでしょうか?
私は5才からピアノ、6才からお絵かき、7才から習字を習っていました。三人姉妹の末っ子の(私は長女)妹は幼稚園で英語があり、「One little, Two Little, Three Little Indians,....♪」と歌っていましたので、それを真似真似たのが最初かもしれません。
翻訳物が大好き

幼いころから翻訳物が大好きでした。その中には英語自体は出てこないけど、西洋の人名や地名、料理やお菓子の名前、キリスト教関係の言葉、などなど、普段耳にするものとは全く異質な言葉に強く惹かれていました。いつか英語のまま本を読めるようになればいいのにな・・・とぼんやり考え始めたのは、小学生くらいだったかもしれません。
父と映画

父は割合映画好きで、西部劇なんかをよく見た方でした。「映画の終わりはなぁ、『ジ・エンド』って言うんやでぇ」「『黙れ!』って言うのは『シャーラップ』なんやでぇ」なんて、私たちに教えてくれていました。父自体は中卒で、しかも中学のときは英語が選択だったので受験しない父は英語を習わずに卒業し、以来、英語を学んだことは一度もありません。そんな父にでも映画を見ていれば、少しはわかるようになるんだ! って(父の理解力より)映画ってすごいなぁ、と思ってきました。そう映画を字幕なしでわかるようになりたい! それも徐々に思い始めたのも小学生高学年くらいだったかもしれません。
ビートルズとの出会い

ビートルズが有名だってことは知っていましたが、中学生になるまで聞いたことがありませんでした。エルビスはラスベガスでのコンサートが衛星放送されたときに見ていましたが、その歌よりも、人気のすごさ、特に、彼が汗を拭いた白いハンカチを奪い合うファンにびっくりしました。それが小学校の高学年だったかな・・・
小学2年生のときからの友人で、ずっと文通を(私が転校したので)しているMさんが、中学2年のときに、「ビートルズっていいよぉ」とテープをくれました。「Let It Be」「Yesterday」「Help!」「She Loves You」「Penny Lane」「The Long And Winding Road」「Something」など等、名曲が詰め込まれたそのテープを聞いて、すごい衝撃を受けました。
それまでは「英語の歌を聴いても、歌詞もわからないんだから、気に入るわけないじゃん!」なんて思っていましたが、歌詞は確かに98%は、わからなかったけど、その曲のリズム、メロディーライン、アレンジに魅了されました。しかも、よく聞けば、耳慣れてメロディーが多かった。知らない間にCMやドラマなんかで耳にしてたんでしょうねぇ。
そのテープは今は手元にないんですが、多分聞きすぎて、テープが伸びたか、切れたかしたと思います。
その後、ラジオを聴くようになり、積極的にいろんなアーティストの曲をエアーチェックするようになりました。クィーン、カーペンターズ、ボズ・ギャッグス、ベイシティ・ローラーズ、アバ、ビリー・ジョエル....なんかを中学、高校のときによく聴きました。
そう、英語の歌詩をわかるようになりたい! それは切実に思っていたことです。そのころはすでに英語の授業は始まっていたけど、Listeningなんてなかったし、聴いてわかるなんて不可能でした。でも、日本語の歌がわかるように(日本語だって、1度聴いたくらいでは、全てを理解することなんてできないけど)、英語の歌も理解できたら、もっと楽しめるのになぁ・・・と思っていました。
ECCからサイマルまで

中学生までは英語は得意だったのですが、高校に入って、バレーボールばかりやって、英語(リィーディングもコンポジも文法も)はいつも赤点ギリギリでした。大学生になって、グァム島に行った頃から、、英語習いに行こうかな・・・と考え出しました。高校の同級生が専門学校から全日空に入ったのも大きな刺激になっていました。目に付いたのがECC。梅田の阪神ホテルのすぐそばにありました。
大学帰りに週に1回だったか2回だったか、夜、通うことにしました。
講師は日本人女性で、20代後半くらいの人だった。生徒は10人くらいいて、OLや会社員、私のような大学生もいたように思います。とにかく、ECCでの勉強はただただ、課題を丸暗記するばかりでした。それで、そういう授業がちっとも面白いとは思えなくて、徐々に足が遠のいて、授業料は払ったのに、最後まで行かないで、やめてしまいました。
その後、友だちのお母さん(この人はすごいバイタリティのある人で、いつも何かをやっている人でした。看護婦さんだけでも十分忙しいだろうに、しかも、癌という病気を患っているにもかかわらず、常に何かに挑戦されていました)が教会で、英語を習っているのを知り、大学を中退した3年後くらいにまた、英語の勉強を始めました。
そこでは、会話を中心にした授業で、講師はフィンランド人の女性でした。楽しかったのですが、ここでも、そうやる気がでず、特に講師の女性が「歌をわかるようになるのは不可能」なんて、言ったのでがっくりして、やる気をなくし、数ヶ月でやめました。
中退して4年後、また大学にもどり、やっと卒業したのですが、その時も、英語は私の重荷でしかありませんでした。
サイマルに通うようになって、やっと、めちゃくちゃ、やる気がでて、英語の歌もかなりわかるようになり、本も読めるようになり、映画も字幕なしでもどうにかわかるようになりました。このことは「私が英検準1級をとるまで」で詳しくご紹介します。

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