ストア哲学との出会い
「傷つかない技術”有害な批判”から身を守る6つのカギ」 を読んで、初めてセネカ、キケロ、エピクテトスの名前を知った。「泰然自若」の態度を身につけるために読むべき著書として紹介されていた。マルクス・アウレリウスも紹介されていたが、ローマ五賢帝の最後の皇帝であり、名前だけは知っていた。他の人たちについてはまったく知識がなかった。ストア哲学というのは、何かしら聞いたことがあるような気がするが、それがどういうものもか、全く知らなかった。前書で紹介されていたマルクス・アウレリウスの「自省録」を取りあえず、読んでみたくなり、図書館で借りて読んだ。マルクス・アウレリウスはAD121年生まれのローマ皇帝だし、その翻訳は小難しいのではないかと、恐れていたが、鈴木輝雄氏の訳はこなれていてとても読みやすかった。
中央公論の世界の名著は絶版になっているらしく、図書館でしか手に入らないが、講談社学術文庫で、同じ鈴木氏の新訳が出ていたので購入した。
ストア哲学の創始者
中央公論「世界の名著14 キケロ エピクテトス マルクス・アウレリウス」によると、ストア哲学はゼノンが創始した。ゼノア(紀元前336〜264)は、まず犬儒のクラテス(紀元前3年ころ〜285年)につき、満足できずに、アカデメイアとメガラの両学派について哲学や論理学を学び、彩色された壁面のある柱廊(ストア)で、半公開的な講義を始めた。
はじめはゼノン学派と呼ばれたが、後にストア学派といわれるようになった。
ストア哲学の考え方
論理学・自然学・倫理学
われわれがいずくに安んじ、何を為すべきかという宗教倫理の問題を究極の目的として、そのために、この宇宙でいかにあるか、自然学を研究すべきだというのであり、そして自然を正しく研究したり理解するためには、論理が必要だという。
というような、説明がなされていたが、「自然」に従い、「意志」で己をしっかり形成し、社会(国家)に有益であるには、どのようにするかという考え、方法論であるのだと思う。
常に高い志を持ち思慮深く、大胆であって慎重に生きていく方法を論じている。
中央公論「世界の名著」には最初に二段構えで55ページに渡り解説が設けられていた。図書館から借りたときに、まず、解説から読み出したが、長いので、数頁しか読まず、最後に収録されている「自省録」を読んだ。読み進むうちに、徐々にストア派ってなんだろう? マルクス・アウレリウスが出会ったことを喜んでいるエピクテトスはどんなことを書いているのだろうかと、興味が深まった。
ストア哲学についてウィキピディアで調べてみたり、巻頭の解説をつまみ読みしつつ自省録を読み、つぎにエピクテトスの「語録」を読み始めた。
世界の名著の巻頭に差し込まれている「エピクテトスの礼賛者」という解説に「キリスト者カール・ヒルティ(1833〜1909)は『読書と演説』の中で、自分に最も大きな影響を与えた本(聖書は別格として)の一つに、エピクテトスを数えている。同じ書物の別の個所で、彼はまたこうも言っている。アリストテレスやプラトンやキケロの哲学的著作は、有名ではあるが、われわれの人生観の基盤とするには十分満足なものではない。この点では自分は、もっと知られていないエピクテトスの「要録」の方を選ぶと」と出ていた。
私は、キリスト者カール・ヒルティという人物はまるで知らないが、この一文だけで、(その前にマルクス・アウレリウスが触れていたこともあったが)絶対に読まなければ! という気持ちになった。
だから、エピクテトスも文庫がないかと探したけれど、見つけられず、英語のペーパーバックを買った。日本語ではエピクテトスの本は見つけられなかったが、英語なら、たくさんあったのに驚かされた。
日本語の翻訳物は絶版になっているものばかりのようだ。とても残念なことだと思う。ギリシャ語が原語なんだろうか? ラテン語だろうか? それは、私の手には負えないけれど、英語からなら訳してみたいなぁと思う。いや、中央公論「世界の名著」の鹿野司助氏の訳は素晴らしいので、復刻版を出して貰えたらと思う。
「自省録」を読んでいると、エピテクテトスが何度が言及されており、自省録
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