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読書会「てつぼう」 |
読書会「てつぼう」に入ったきっかけ
読書会、そんなものなくても、好きな本だけを読んでればいい、というか、読書会に入るとか、読書会というものがあることすら、知らなかった私でした。でも、結婚し、京都に住み、親しい友人からも妹たちからも離れてしまい、いくら感動した本があっても、電話しないかぎり、誰ともそのことについて話せない日々が3年近く続きました。
そんなとき、日経新聞の夕刊に「自分探しの旅」という本を出版された京都の読書研究会(読書会「てつぼう」の前身)が紹介されていました。
「こんなグループがあるんだ!」「もし、私も入れてもらえれば、本の話ができるんだ!」と、さっそく、記事の連絡先にはがきを送り、次回の月例回から参加しました。
でも、当初、私はフェミニズム、環境、心理学、成人書にしか興味がありませんでした。それなのに、その読書研究会は、児童文学を扱っているグループでした。
「児童書に親しんでいるの?」という問いに、「子どものころは、『赤毛のアン』や『兎の眼』を読みましたが、最近は・・・」と、言葉を濁すことしかできませんでした。
それでも、この機会を逃したら、もう京都で本について語れる場所はないかもしれないと、当初、興味を持てない、持っていなかった児童文学を読み始め、グループの一員になりました。
「かべにプリンをうちつけろ 」(ネストリンガー)「ゲド戦記( 全4冊セット)」など、最初の読書会で紹介されていた本を探しに探して買い求めました。
それが私と児童書の出会いでした。
「ゲド」はとても当時の私には読み通せる作品ではありませんでした。余りに女性蔑視の視点から描かれているように思え、最初の50ページくらいで投げ出してしまいました。
でも「かべに・・・」は環境を守るためにさまざまな(大人にはいたずらと思われるようなこと)する子どもたちの話で、しかも、それなりに深い味わいも感じられ、「児童文学」、「ヤングアダルト」と呼ばれる、こんな分野があったのか、と目からうろこの状態になりました。;
初めて月例会に参加したとき、とても緊張して、始まる時間の30分くらい前に、京都青少年活動センターに着きました。まだ会場となる部屋は空いていなかったので、ロビーで待っていたら、メンバーの人らしき人がやってこられたので、おそるおそる声をかけました。私が初めて参加することを告げると、40代くらいの女性数人は気持ちよく歓迎の意を現されました。そして、「一体、何人くらいの人が集まるのですか?」という私の問いに、「そうねぇ、せいぜい10人までかな・・・」という答え。「自分探しの旅」には800冊の児童書が紹介されていると記事に載っていたので、てっきり100人くらい毎回参加者がいるものと思い込んでいた私は、拍子抜けしてしまいました。
それに、時間がきて、こじんまりとした会議室に入り、来られた方たちを見回してみても、特に、どうということもない、ごく普通のやさしそうなおばさんたちの集まりでした。
読書会のメンバーたち、読書会に入ってから
でも、ごく普通というのは、参加するたびにすごい知識と教養と表現力を備えた人たちということがわかってくるのですが、そのときは、「なんだ、別に特別な人たちじゃないんだ」という安堵でいっぱいでした。受けいられたみたいだし、自分の好みではないかもしれないけど、本の話ができるのは楽しいことでした。
でも、私の意に反して、私のことを、(参加者の中では最年少でした)他の人たちは、「なんて、言いたいことをはっきり言う子だろう」と驚かれていたらしいです。ずけずけ、言いたいこと、例えば、他の人が「ゲド戦記」を絶賛しているのに、「私は女を馬鹿にしているようなことをいっぱい書いてあったから、『ええい! こんな本!』って、投げ捨てたくなって、高いお金出してかったのに、1巻目の最初のほうで読むのをやめました」なんて、平気で言ったり、「ええ? おもしろかったですか?」とか、他の人の感想に水を差したり、していました。
初めてのレポーター
読書研究会では、毎回、レポーターを決め、課題とする本を予め決めます。同じ作者のものを数冊とか、何かテーマにそくしたものを数冊という具合です。1年近く、私がレポーターになる順番は回ってきませんでした。その間に、メンバーの人のレポートぶりを見、さらに、レポート後の(当時発行していた)「てつぼう」という小冊子での文章を読んでも、レポーターになるのは、かなり大変な作業だということがわかってきました。その上、みんなただ作品が面白かったなんて単純なことでなく、いろんな角度から作品や作者を検討し、はては、海外の作品の場合は、現地で出ている雑誌に載った記事(英語)まで引用する人までいました。(そういうことをきっかけに、英語を勉強し、今では、原書で本を読むようになりました。不思議なもので自分ができるようになると、英語で本を読むことなど、特にたいしたことではないように思われるようになりました)
私の発表は、ドイツ語圏のミリアム・プレスラーでした。(私が選んだというよりむしろ、メンバーの人が私向きだと選んでくれた)ミリアム・プレスラーは、「アンネの日記(文春文庫)」の編集もしているユダヤ人でした。翻訳されている全ての作品と、児童文学の(もちろん日本語)雑誌を資料に、私なりのレポートをまとめ、発表に臨みました。緊張で、肩は凝るし、胸は張り裂けそうだし、声も上ずり加減でした。みんな静かに私の拙い発表に耳を傾けてくれました。でも、他の人の時は、発表の合間に、いろんな意見がでて、議論に発展することもあるのに、私のときは、みな一様に、じっと聞いていたので、発表の仕方が悪いので、意見を差し挟む隙間がないのでは、と気を揉みました。とにかく、レポートが終り、ホッとして、「緊張しました・・・」と言うと、「えー! あなたが?!」とみんなびっくりしていたのには、こちらのほうが驚きました。
その後の活動
その後、現在まで、活動に参加し、数冊の小冊子には、私も寄稿し、また、販売などもしました。1999年の秋には翻訳家の金原瑞人さん、2000年4月には風野潮さん、9月にはひこ田中さんが読書会「てつぼう」の例会に来られました。今年は海外児童文学の小冊子を作る予定だそうです。(人事のように書いてしまった・・・)
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