感想
冒頭からその描写の深さに圧倒され、読むのをやめられなくなった。最初の語り手、ユリコの姉(名前が出ていなかったように思う)は、どんな男の人を見ても、その人との子どもを想像してしまう。しかし、子どもができる過程は全く、想像しないし、彼女は38歳まで処女である。
自分と、いろんな男性の遺伝子が交わると、どういうパターンの子どもができるかをいろいろと想像せずにはいられないのだ。
彼女の妹、ユリコは、誰もが息を飲むほどの美少女だった。スイス人の父、日本人の母を持つ、ハーフの姉妹。絶世の美少女の妹、日本人の母そっくりで、美しさには縁遠い姉。
常に美しい妹と暗黙の比較をされ、蔑みや哀れみの視線を浴び続ける姉。
そういう状態が彼女の精神の構成にどのように作用したのかが、とてもよくわかる。
遺伝子のいたづらで、彼女と妹は同じ親を持ちながら、全く似ても似つかない姉妹になったのだから。
美しさとはただ賞賛に値するものだけでなく、それを持つものをも蝕むものなのかもしれない。
ユリコが美しすぎたばっかりに、姉妹の仲は悪く、ユリコは男の視線が集ることを利用することを次第に覚え、それを生きる手段にしていく。
そして、性格が捻じ曲がってしまったユリコの姉の影響で、ユリコの姉の同級生、佐藤和恵は より辛い学生生活を送ることになる。
この小説の登場人物は皆、どこか 欠けてしまった人たちばかりだった。
ユリコが一番、強く、前向きに思えたが、生活の糧として、美しさを利用することしか考えられずに暮らし、30代後半にはその美しさをなくしてしまい、それでも娼婦としてしか生きる道が残されていないのが哀れだった。
殺人の容疑者の中国人の手記は非常に過酷な状態の中国での出来事が描かれていて、読むのが辛かった。彼自身、死んでしまった、あるいは見殺しにしてしまった妹が忘れられず、妹のことを女として愛していて、精神を病んでいた。
大切な人を永遠に失ってしまうと、生きていること自体、意味のあることには思えないのかもしれない。
佐藤和恵の街娼としての描写は、「グロテスク」という言葉につきる。あそこまでしてしまえる女になってしまった和恵が哀れで仕方なかった。
そういう登場人物の中で、唯一、救いになる人物は、ユリコたちの教師であり、ユリコのポン引きをしているユリコの同級生の父親でもある男性だ。彼は、ユリコの魅力に心を奪われながらも、決して教師という立場を越えた行為はせず、いつも生徒たちのよき指導者でありつづけようとしていた。そして、自分の理想を常に意識し、道からはずれたことは決してしないゆるぎない自己を持った人物。
こういう人間も確かにいるだろうと、納得できるように描かれていた。
ラストは「まさか!」と思える終わり方で、ファンタジーのようだった。
性と美しさ、それをこれほどグロテスクに追求した作品は、他に読んだことがない。
参考書評 http://homepage3.nifty.com/writersgym/mystery/mystery-grotesque.html
http://www.asahi-net.or.jp/~wf3r-sg/ntkirino.html
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